宇治上神社(うじがみじんじゃ)は、平等院の宇治川の対岸に向かうようにある神社
宇治神社からさわらびの道を東奥に進んだとことにある
明治維新まで、宇治神社と合わせて「宇治離宮明神(うじりきゅうみょうじん)」「八幡宮」と称され、
宇治神社を下社・若宮、宇治上神社は上社・本宮とされていた
神社建築としては最古の神社
境内に、宇治七名水の一つである湧き水「桐原水」がある
<本殿(国宝)>
平安時代後期、1060年(皇紀1720)康平3年頃の建立
外から見える覆屋(おおいや)の中に3つの内殿があり、それらが現存する最古の神社建築
桁行五間、梁行三間、内殿三社各一間社流造、檜皮葺
覆屋の側面と背面の壁・柱、後流の屋根は、左右の内殿と共有されており、当初から、内殿と覆屋は最初から一体のものとされていた
左殿・中殿・右殿の順に古いとされる
中殿は左殿・右殿よりもひと回り小さい
向かって右の左殿の正面にある蟇股は、左右二枚の板からなる古風な形式で、
「三蟇股(さんかえるまた)」(醍醐寺薬師堂・中尊寺金色堂)と称される
1902年(皇紀2562)明治35年4月17日 重要文化財に指定される
1910年(皇紀2570)明治43年 解体修理される
1952年(皇紀2612)昭和27年3月29日 国宝に指定される
2004年(皇紀2664)平成16年2月
奈良文化財研究所・宇治市などで年輪年代測定調査が行われ、本殿は1060年ごろの建立とされる
<拝殿(国宝)>
本殿の前の一段低くなったところに建つ横長の建物
寝殿造様式
桁行六間、梁行三間、一重、切妻造、両妻一間庇付、向拝一間、檜皮葺
鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、住宅建築様式が取り入れられている寝殿造の貴重な遺構
元離宮の建物だったことから、優美な姿形をしているといわれる
平安時代末期、1185年(皇紀1845)文治元年から1275年(皇紀1935)建治元年の間の建立
1902年(皇紀2562)明治35年7月31日 重要文化財に指定される
1911年(皇紀2571)明治44年 解体修理されている
1952年(皇紀2612)昭和27年11月22日 国宝に指定される
<清め砂>
拝殿の前に盛られている
毎年9月1日の奉納祭に、氏子さん達によって奉納され、1年間盛られ続ける
<桐原水>
拝殿の向かって右側に祠が建つ
室町時代
宇治茶の「宇治七名園」が作られ、それに伴いお茶に欠かせない水にも「宇治七名水」が定められた
他の六名水は失われ、唯一現存するもの
<大鳥居>
<御神木 けやき>
<摂社 春日神社(重要文化財)>
本殿の向かって右側に、注連縄(しめなわ)をかけた大きな石「天降石」を挟んで隣に建つ
春日大神は、藤原氏の氏神であり、平等院の鎮守社として、一族の繁栄を願って建てられたといわれる
一間社流造、檜皮葺
1275年(皇紀1935)建治元年から1332年(皇紀1992)正慶元年までの間の建立
1912年(皇紀2572)明治45年2月8日 重要文化財に指定される
<さわらびの道>
宇治川の東岸から末多武利神社、宇治上神社を経て宇治市 源氏物語ミュージアムに至る石畳の散歩道
<和歌朱印>
宇治上神社の社名と、宇治を題材にした和歌を宮司が一筆された御朱印
和歌の例
「我が庵は みやこのたつみしかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり」喜撰法師
「朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木」藤原定頼
「さむしろに 衣かたしき今宵もや 我をまつらん宇治の橋姫」詠み人知らず