地図情報
正法寺(しょうぼうじ)は、八幡市の西北部、石清水八幡宮の南方にある寺院
東高野街道の西側にある
徳川家康の側室 お亀の方(相応院)ゆかりの寺院
<唐門(からもん)1棟(重要文化財)>
御成門、四脚門、前後唐破風造、側面入母屋、銅板葺、左右袖塀附属
屋根の前後が、唐破風造と入母屋造を組み合わせた珍しい形式
親柱筋の冠木虹梁間に、牡丹の透彫、桟唐戸の綿板に牡丹唐草の浮彫など装飾がされている
扁額「徳迎山」は、後奈良天皇から賜った額字をもとにされている
1630年(皇紀2290)寛永7年
徳川家康の側室 お亀の方(志水亀女)(相応院)の寄進により建立される
1984年(皇紀2644)昭和59年5月21日 重要文化財に指定される
<本堂(ほんどう)1棟(重要文化財)>
桁行五間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺
外陣・内陣・脇陣・後陣からなる
典型的な浄土宗本堂の形式
内陣と後陣の境には、腰高框(かまち)で仕切り結界が設けられる
内陣円柱は、金箔張、組物に極彩色の文様が施されている
屋根を支える上下二重の垂木の先端には、腐食防止のため金箔の逆輪(さかわ)が装飾されている
扁額「正法寺」は、後奈良天皇から賜った額字をもとにされている
1630年(皇紀2290)寛永7年
徳川家康の側室 お亀の方(志水亀女)(相応院)の寄進により建立される
大棟の鬼瓦には、1629年(皇紀2289)寛永6年の銘がある
内部荘厳具には、1630年(皇紀2290)寛永7年の銘がある
1664年(皇紀2324)寛文4年、享保年間(1716年~1736年)、1788年(皇紀2448)天明8年
屋根の葺替えが行われた
1984年(皇紀2644)昭和59年5月21日 重要文化財に指定される
附指定:銘札 1枚
附指定:鬼瓦 1個
1988年(皇紀2648)昭和63年から、半解体修理が行われる
<大方丈(だいほうじょう)1棟(重要文化財)>
桁行18.7m、梁間12.2m、一重、入母屋造、銅板葺
狩野探幽の作といわれる金碧障壁画「松図」8面などがある
禅宗寺院の一般的な二列六室(前三室・後三室)の方丈形式
上段の間が設けられ、公的な対面所とされる
西側に床の間、北側に書院、北南側に違棚と付書院が「コ」の字形になっている
1630年(皇紀2290)寛永7年
「落慶供養文」があある
徳川家康の側室 お亀の方(志水亀女)(相応院)の寄進により建立される
1984年(皇紀2644)昭和59年5月21日 重要文化財に指定される
附指定:玄関 1棟
附指定:中門 1棟
附指定:土塀 1棟
附指定:獅子口 2個
<本堂庭園(京都府指定名勝)>
本堂の南、大方丈の東に面している
白砂に石や松・サツキなどが植栽された枯山水庭園
1989年(皇紀2649)平成元年 京都府指定名勝に指定される
<小方丈(京都府指定文化財)>
大方丈の裏(西側)にある
主室(9畳)には、床の間(大床、間口2間)、上段の間(3畳の上段、違棚、張台構)がある
次の間(10畳)がある
三方に広縁がある
1840年(皇紀2500)天保11年 塔頭 光徳院の客殿が移築された
1983年(皇紀2643)昭和58年 京都府有形文化財に指定される
<書院(京都府指定文化財)>
北側に床と付書院のある一の間と、南側の二の間からなる
西側、北側に広縁が付く
障子や欄間などには、数寄屋風の意匠が施されている
床の間の壁・襖・障子腰の水墨画は、法橋元陳斉(吉田元陳)の作
1707年(皇紀2367)宝永4年の建立
1983年(皇紀2643)昭和58年 京都府有形文化財に指定される
1987年(皇紀2647)昭和62年、解体修理が行われる
<書院西庭園>
書院の西に、石橋が架かる池泉庭園がある
山腹を利用し段状に石が立てられ、楓などの植栽がある
<中門>
1839年(皇紀2499)天保10年
塔頭 勁松院の車寄席が移築された
1988年(皇紀2648)昭和63年から、解体修理が行われる
<鐘楼(京都府指定文化財)>
上層の斗栱(ときょう)は、二手先で軒支輪、二軒繁垂木を支えている
朱色の袴腰付
1621年(皇紀2281)元和7年の建立
梵鐘には、慶安年間(1648年~1652年)の銘が入っている
1983年(皇紀2643)昭和58年 京都府有形文化財に指定される
1991年(皇紀2651)平成3年 解体修理される
<地蔵堂>
山門を入った右側にある
地蔵菩薩坐像と千体地蔵尊立像が祀られている
方形造、本瓦葺
文明年間(1469年~1487年)の建立
<法雲殿>
本堂の東側にある宝物館
明治新政府の廃仏毀釈の悪政により破却されそうになった石清水八幡宮にあった重要文化財の仏像などが遷されて安置されている
1945年(皇紀2605)昭和20年の建立
2008年(皇紀2668)平成20年の再建
<お亀の方の供養塔>
本堂の裏にある
徳川家康の側室 お亀の方(志水亀女)(相応院)の供養塔
<正信のお墓>
お亀の方の供養塔の右側にある
正信は、志水亀女が最初に嫁いだ竹腰正時(定右衛門)との間の息子
<八角堂>
正法寺の境外仏堂(八幡市八幡大芝)
珍しい隅切り八角形の建物
建保年間(1213年~1219年)
石清水八幡宮の社家 善法寺祐清が、石清水八幡宮の境内に阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀堂として建立した
後に大破する
1607年(皇紀2267)慶長12年 豊臣秀頼によって再建される
1698年(皇紀2358)元禄11年 老朽化したところ、善法寺央清によって再建される
享保年間(1716年~1736年)
正方形の阿弥陀堂の四隅を切って八角堂に改修された
1870年(皇紀2530)明治3年
明治新政府の廃仏毀釈の悪政により破却されそうになったところ、
正法寺住職 志水円阿が貰い受け、所有地であった西車塚古墳の後円部上に移築された
2012年(皇紀2672)平成24年
石清水八幡宮の境内が国の史跡になると、この地も境内の一部として指定された
現在は、八幡市の所有となっている
<塔頭>
桃山時代には多くの塔頭があった
松林庵・頸松院・正寿院・瑞雲院・松岳院・福泉院・光徳院・智福院
円通庵・成徳院・宝寿庵・林香庵・慶祐庵・良福庵・地蔵院
末寺として現存するもの
福寿院・安心寺(安心庵)
障壁画・襖絵・絵画
<絹本著色 石清水曼荼羅図(いわしみずまんだらず)1幅(重要文化財)>
僧形八幡神・貴人・貴女・官人が描かれ、それぞれ八幡若宮・比売神・竹内宿禰といわれる
鎌倉時代の曼荼羅
石清水八幡宮の西谷 八角堂に祀られていたもの
明治新政府の廃仏毀釈の悪政により破却されるところを遷された
1959年(皇紀2619)昭和34年12月18日 重要文化財に指定される
<絹本著色 如来像(にょらいぞう)1幅(重要文化財)>
朝鮮 高麗時代の作
朱の衣を身に着け「赤釈迦」と称されている
右手を垂下、左手は与願印で踏割蓮華座に立つ
縦184.5cm X 横86.6cm
1977年(皇紀2637)昭和52年6月11日 重要文化財に指定される
<大方丈金碧障壁画「松図」8面>
狩野探幽、あるいは狩野派の作といわれる
金地に臥竜松が描かれている
縦78.2cm X 横39.1cm
<琴棋書画図(きんきしょがず)>
床の間・違棚・付書院・北側の襖2面・東側の襖4面、南側の襖2面に、金雲でつながり連続して見える
狩野派の作
松の大木、棋の人、池に浮かぶ舟などが描かれている
<絹本著色 円誓上人像 1幅>
室町時代の作
縦109.7cm X 横54.2cm
<絹本著色 伝誉上人像 1幅>
室町時代の作
2段の賛があり、上段に伝誉略歴が記されている
縦104.1cm X 横36.2cm
<紙本著色 徳川家康像 1幅(京都府暫定登録文化財)>
徳川家康が黒い束帯姿で畳上に坐っている
手前両脇に狛犬が描かれている
江戸時代初期の徳川義直の筆といわれる
縦123.8cm X 横58.0cm
1637年(皇紀2297)寛永14年 お亀の方(相応院)により寄附されたもの
<紙本著色 相応院像 1幅>
左下に白衣・頭巾姿の相応院が描かれ、右上方に雲に乗る阿弥陀三尊が来迎している
江戸時代初期の作
縦123cm X 横57.1cm
<紙本金地著色 洛中洛外屏風 六曲一双>
江戸時代初期の作
縦109cm X 横266.7cm
仏像・彫刻
<木造 阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)1躯(重要文化財)>
法雲殿に祀られている
鎌倉時代 建保年間(1213年~1219年)の作
石清水八幡宮別当 善法寺祐清が願主になり造仏された
石清水八幡宮の本地仏で、男山山中の西谷 八角堂に祀られていたもの
明治新政府の廃仏毀釈の悪政により破却されるところを遷された
「一光千仏丈六阿弥陀」とも称された
仏師 快慶の作ともいわれる
1917年(皇紀2577)大正6年4月5日 重要文化財に指定される
<木造 元三大師坐像 1躯(重要文化財)>
平安時代の高僧 慈恵大師 良源の像
鎌倉時代の作
像高82cm、檜材、寄木造、彩色、玉眼嵌入
石清水八幡宮の三の鳥居近くにあった元三大師堂に祀られていたもの
明治新政府の廃仏毀釈の悪政により破却されるところを、正法寺管理の八角堂に遷され、
京都国立博物館に寄託され、現在は、法雲殿に安置されている
1918年(皇紀2578)大正7年9月12日 重要文化財に指定される
<木造 阿弥陀如来坐像>
本尊 阿弥陀三尊の中尊
来迎印を結び、結跏趺坐する
像高96.2cm、寄木造、彫眼、漆箔、白毫、肉髻珠
鎌倉時代初期の作
後補の光背台座に、寛永年間(1624年~1644年)の修理銘がある
<木造 観音菩薩坐像>
本尊 阿弥陀三尊の脇侍
両手で蓮台を持ち跪坐する
寄木造、彫眼、漆箔
<木造 勢至菩薩坐像>
本尊 阿弥陀三尊の脇侍
合掌し跪坐する
寄木造、彫眼、漆箔
<木造 阿弥陀如来立像>
像高111cm、檜材、一木造、彫眼、漆箔、白毫、肉髻珠
平安時代中期の作
<木造 阿弥陀如来立像>
丈六、像高283cm、台座・光背を含め480cm
胸の前で両手の親指と中指で輪を作る中品中生の説法印を結ぶ
肉身部は漆箔、衣部は彩色、檜材、寄木造、彫眼
かつては全体に金箔が施されており、一部に金箔が残る
書跡・典籍
<大方等大集経(だいほうとうだいしゅうきょう)8巻(重要文化財)>
大方等大集経の巻第一から巻第八までの8巻がそろっている
五月一日経のまとまった遺品
巻末に、740年(皇紀1400)天平12年5月1日の光明天皇 皇后の願文がある御願経
黄麻紙
1979年(皇紀2639)昭和54年6月6日 重要文化財に指定される
古文書
<手鑑(てかがみ)1帖>
奈良時代から 江戸時代の193点が集められている
聖武天皇・聖武天皇皇后・光明天皇皇后なども含まれる
<後奈良天皇宸筆山号寺号額寺 2幅(京都府指定文化財)>
1547年(皇紀2207)天文16年
後奈良天皇の自筆の山号「徳迎山」寺号「正法寺」の額
縦93cm X 横41cm
これをもとに、唐門に扁額「徳迎山」、本堂に扁額「正法寺」が掲げられている
<後奈良天皇綸旨 1巻(京都府指定文化財)>
1546年(皇紀2206)天文15年
後奈良天皇が、正法寺11世 伝誉上人に帰依し、勅願寺の綸旨を与えたもの
縦31.5cm X 横42.3cm
<豊臣秀吉寺領朱印状 1通(京都府指定文化財)>
1589年(皇紀2249)天正17年
豊臣秀吉が寺領500石を寄進した朱印状
縦46cm X 横100.5cm/1紙65.5cm
<徳川家康寺領朱印状(京都府指定文化財)>
1600年(皇紀2260)慶長5年
徳川家康が寺領500石を寄進した朱印状
徳川家康の自筆署名がある
縦46cm X 横65.5cm
<正法寺文書 9383点(京都府有形文化財)>
室町時代から江戸時代のもの
1992年に京都府有形文化財に指定される
<修正会> 1月20日
<涅槃会> 3月15日
<浄焚式> 8月
<施餓鬼会> 8月30日
<彼岸会> 9月20日
<除夜会> 12月31日