地図情報
即宗院(そくしゅういん)は、東福寺方丈の東側、偃月橋を渡ってすぐ東側にある塔頭
偃月橋(えんげつきょう)を渡って正面に龍吟庵があり、龍吟庵の手前東隣にある
鎌倉時代初期に九条兼実の山荘「月輪殿」だった跡地で、庭園は京都市指定名勝となっている
即宗院裏の採薪亭跡(さいしんていあと)は、清水寺の僧 月照と西郷隆盛とが、
大老 井伊直弼を倒すために密議を行ったところで、西郷隆盛が滞在し幕末維新の舞台となった
<山門>
塔頭には珍しい仁王門
左右に、砂石造の仁王像が、南北に互いに向き合って立っている
1613年(皇紀2273)慶長18年
現在の地に移転して再興されたときの建立
<即宗院庭園(京都市名勝)>
山荘「月輪殿」跡地の、公家寝殿造の庭園
東山の深い森を背景として、池泉・苔・石組・植栽などがある
池の地割り・瀧の位置などで、鈎の手「心」の字体が表現されている
赤千両、黄千両、紅葉が楽しめる
平安時代末期には、山と樹林に囲まれた閑静な地にあり、
関白 藤原忠通(ふじはらただみち)(近衛家)が御所の東御堂として建立する
三男 藤原兼実(九条家の祖)が関白を辞した後、
山荘を営み、自身が「月輪殿」と称されたことにちなみ、山荘を「月輪殿」と称した
法然上人が来訪されたときに描かれた絵巻には、優美な寝殿造りの邸宅と池が描かれている
(国宝「法然上人絵伝」 巻八段五(知恩院所蔵)
1799年(皇紀2459)寛政11年発行
「都林泉名勝図会」にも名園として紹介されている
1972年(皇紀2632)昭和47年以降
順次整備がすすめられ、月輪殿の滝跡の石組みの残存や池などが当時を偲ばせる
<石碑「採薪亭址」>
庭園の手水鉢付近にある
茶室 採薪亭(さいしんてい)の跡地
1796年(皇紀2456)寛政8年
即宗院第13世 龍河が、説教師・勧進聖 自然居士(じねんこじ)を偲んで草庵を建立する
草庵は、方三間、二階建、階下に茶室が造られていた
幕末維新
清水寺の僧月照と西郷隆盛とが、大老 井伊直弼打倒のために密議を行ったところ
西郷隆盛と月照は、和歌のつながりで近衛家に出入りし、
尊王攘夷に対し激しい弾圧を行う大老 井伊直弼を打ち倒すための密議を採薪亭で行い、
西郷隆盛は、採薪亭に隠れ住み、ここからさまざまな令を発して維新の大業をやり遂げたという
薩摩藩藩士の有村次左衛門と水戸藩諸士17名が、江戸城外の桜田門外で井伊直弼の倒すことになる
月照は、薩摩に渡った後で、鹿児島の錦江湾に身を投じた
<薩摩藩士東征戦亡の碑>
境内東の慧日山にある
鳥羽・伏見の戦いや戊辰戦争で戦死した薩摩藩藩士524名の氏名が刻まれている
西郷隆盛が、半年滞在して斎戒沐浴(身を清めて)し、自ら工事を監督し、筆をとって銘文をつくり建立した
1869年(皇紀2529)明治2年の建立
<偃月橋(えんげつきょう)(重要文化財)>
即宗院や龍吟庵に入る手前の橋
京都の紅葉
<墓地>
幕末維新の生麦事件の首謀者・薩摩藩藩士 奈良原喜左衛門のお墓
薩摩藩藩士 田中新兵衛のお墓
新選組隊士 御陵衛士 清原清のお墓
薩摩藩藩士・政治家 中井弘のお墓
<宝冠釈迦牟尼像>
本尊
宝冠をかぶっており、お釈迦さまがお悟りを開かれたときの姿を現している
室町時代
院派の仏師の作
院派は、仏像に仏師の名前を銘記することが少なく、仏師は特定されていない
<元版一切経(大蔵経)>
経函が一蔵分、約5000帖
中国 元時代の現存する貴重なもの
1373年(皇紀2033)文中2年/応安6年
即宗院54世 剛中玄柔により、元から持ち帰られた
<大仏蓮華台花弁>
大きさ:126cm x 93cm
東福寺創建時の仏殿に祀られていた15mの釈迦如来の大仏の蓮華台の花弁の一つ
南北朝時代のもの
1881年(皇紀2541)明治14年
東福寺が焼失し、その類焼を免れた大仏蓮華台の花弁が、塔頭に一枚ずつ配布された一つ
小連弁(64cm x 56cm)も約20枚残っている
<島津牡丹文様四足火鉢(附 火箸)>
島津家紋「丸十紋」と、近衛家より贈られた家紋「島津牡丹紋文様」が描かれている
<朱漆塗琉球漆器>
1740年(皇紀2400)元文5年
薩摩藩山川 正龍寺より寄進されたもの