雙栗神社(さぐりじんじゃ)
(SaguriJinjya) 京都通メンバ
所在地:久世郡久御山町佐山双栗 
   鳥居地図情報鳥居

別記:双栗神社
旧称:椏本八幡宮(あてもとはちまんぐう)

祭神:7柱

社格式内社・郷社

創始:平安時代

重要文化財:1棟(本殿)
京都の自然200選:楠の木(くすのき)

 雙栗神社(さぐりじんじゃ)は、久御山町、JR新田駅・近鉄電車 大久保駅の西方、久御山団地の中にある神社

 羽栗郷(はくり)(佐山村)・殖栗郷(えくり)(佐古村)・拝志郷(はやし)(林村)の鎮守社だった

 羽栗郷、殖栗郷の両郷に祀られていたため「雙栗」と名付けられたといわれる

【雙栗神社の歴史・経緯】

【雙栗神社の祭神】

 現在は7柱が祀られている

 式内社の雙栗神社三座
 <天照大御神
 <素戔嗚尊
 <事代主神

 下記4柱は、椏本八幡宮の八幡大神として合祀されたといわれる
 <応神天皇
 <神功皇后
 <比咩大神(ひめがみ)>
 <仁徳天皇(にんとくてんのう)>
 <椏本八幡宮(あてもとはちまんぐう)>


 下記の祭神も祀られていたといわれる
 <活目入彦五十狭茅命(いくめいりひこいさちのみこと)>
 <和気清麻呂


 <延喜式 延喜式神名帳
 山城国久世郡 二十四座 大十一座 小十三座 雙栗神社三座に比定されている

【雙栗神社の境内】

 <石鳥居(国登録有形文化財)>

 <本殿(ほんでん)1棟(重要文化財)>
 石清水八幡宮の分霊を祀る
 三間社流造、向拝一間、檜皮葺、南面して建てられている
 斗供間に、向かって左側に「花と鳥」、右側に「紅葉と鹿」を彫刻した蟇股がある
 1494年(皇紀2154)明応3年の建立
 1907年(皇紀2567)明治40年8月28日 重要文化財に指定される
 1981年(皇紀2641)昭和56年10月 彩色の塗替と屋根の葺替修復工事が完了
 附指定:棟札 1枚
 附指定:旧脇障子欄間 1枚
  上部にりすとぶどうの精巧な彫刻が施されている


 <割拝殿(国登録有形文化財)>

 <本殿門(国登録有形文化財)>

 <玉垣(国登録有形文化財)>
 2019年(皇紀2679)令和元年
 江戸時代後期の姿に復元された

 <雙栗神社の楠の木(くすのき)(京都の自然200選)(久御山町指定天然記念物)>
 本殿の北側に立つご神木
 稲荷社が祀られている
 樹齢400~500年、樹高約30m、根元回9.8m、幹回5.35m
 周辺には、クスノキやヤブツバキ、黒椿が多数生育している
 1991年(皇紀2651)平成3年6月 京都の自然200選(植物部門)に選定される
 1996年(皇紀2656)平成8年2月 久御山町指定天然記念物に指定される

 <黒椿>
 本殿裏の大クスノキ横にあるツバキ
 濃紫色、樹高約3m、幹回約20cm

 <叢林>
 境内北側、本殿の西側
 ヤブツバキなどが数100本生育している

【雙栗神社の文化財】

 明治維新
 明治新政府の廃仏毀釈の悪政により、神宮寺の五か寺が破却されてしまい、
各寺の仏像や寺宝が他の寺院などに遷され離散してしまう
 (安楽寺・西方寺・浄福寺・山福寺(三福寺)・薬蓮寺)

【雙栗神社の祭事】

 <元旦祭> 1月1日

 <粥占(御神差)>
 1月15日 午前零時より明け方まで
 お米(早生・中生・晩生)・綿・大豆・芋・黍(きび)・梨と記された札を8本の青竹の管に付ける
 大釜に米3合、小豆3合の割合でお粥を入れて、竹管を中に入れて、
 神事の後に、炊き上げる
 竹管を包丁で割り、竹管内の粥の詰まり具合により、その年の穀物の豊凶を占う
 竹管一杯に粥が入っていれば十分(じゅうぶ)といい、豊作になるとされた
 結果は、お神差表に記され、この占いに基づき作物の作付けが行われていた


 <八朔祭> 8月31日
 <例祭(秋祭)> 10月8日

【雙栗神社へのアクセス】

 京都京阪バス 久御山団地口(雙栗神社前) 徒歩数分

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