鹿王院(ろくおういん)
(RokuouIn) 京都通メンバ
正式名所:宝幢禅寺 鹿王院

所在地:京都市右京区嵯峨北堀町 
   卍地図情報卍

臨済宗の単立寺院

宝幢禅寺の塔頭だった

本尊:釈迦如来、十大弟子

山号:覚雄山(かくゆうざん)

創建:1380年(皇紀2040)天授6年/康暦2年

開山:普明国師 春屋妙葩(しゅんおくみょうは)

中興の祖:虎岑玄竹(こんしんげんちく)(酒井田忠知の子)

寺格:京都十刹第五

重要文化財:11件(絵画5件・古文書4件・書跡典籍2件)

 鹿王院(ろくおういん)は、足利義満が、延命祈願のため創建した宝幢禅寺の塔頭開山塔が由来

 6月上旬から沙羅、10月の銀木犀名所

【鹿王院の歴史・経緯】

【鹿王院の伽藍】

 山門から中門までに、天台烏薬(てんだいうやく)などの銘木や楓樹が植えられている
 諸堂が回廊で結ばれている

 <仏殿(開山堂)>
 桁行5間、梁行4間、正面吹放裳階、寄棟造、桟瓦葺
 本尊釈迦如来像、十大弟子像、普明国師像、足利義満像が祀られている
 1676年(皇紀2336)延宝4年の建立

 <山門>
 四脚門、切妻造、本瓦葺
 棟門式という、本柱が棟まで立ち上がる禅寺門形式
 門の前後に控柱がある
 足利義満が24歳のときの墨蹟による扁額「覚雄山」がかかっている
 1380年(皇紀2040)天授6年/康暦2年
 唯一の宝幢寺の創建時の建物

 <枯山水庭園(京都市指定名勝)>
 諸堂の間には、枯山水庭園が広がる
 創建の頃、足利義教の命により、僧 任庵主により作庭された池泉式庭園があったといわれる
 日本最初の平庭式の枯山水庭園といわれる
 背後には嵐山を望む、借景庭園
 舎利殿前に三尊石など一群の石組みが置かれ、前面には杉苔地が広がる
 樹齢400年という木斛(もっこく)が植えられている

 <舎利殿(駄都殿)>
 方三間、四周裳階付、宝形造、桟瓦葺
 内陣中央の須弥壇上の大厨子に、銅製鍍金の宝塔が安置されている
 宝塔の中には、鎌倉三代将軍 源実朝により、中国 宋の都臨安(現杭州)の能仁寺から
鎌倉に伝来した釈迦の歯である仏牙舎利(ぶつげしゃり)が納められている
 四方には、仏法護持の四天王像、十六羅漢像なども祀られている
 毎年10月15日にのみ開扉される
 1763年(皇紀2423)宝暦13年、現在の場所に移築再建される

 <客殿>
 1890年(皇紀2550)明治23年
 第24世 峨山昌禎(がざんぜんじ)の再建
 「鹿王院」の扁額は足利義満の筆といわれる

 <唐門>
 一間一戸薬医門、切妻造、本瓦葺

 <庫裡>
 切妻造、桟瓦葺
 宿坊や拝観のための入口にあたり、玄関正面には韋駄天の像が安置されている
 第24世 峨山昌禎による扁額「雨奇晴好(うきせいこう)」がかかる
 寛文年間(1661年〜1673年)の虎岑和尚による再建

 <茶室「芥室(かいしつ)」>
 名前は、普明国師の別号に由来する
 「芥は」、「とるに足らない」の意味で謙遜した言葉
 茶室六帖は、床・違棚・書院がある書院造で、炉は、亭主が床を背にする大名手前になっている
 軸に、「足利義満自筆書状」がかけられている
 四帖半は、床・書院・内仏・袋棚がある数寄屋造  1936年(皇紀2596)昭和11年
 俳優 大河内伝次郎が、普明国師五百五十年忌の前に、住持の隠寮として寄進したものを茶室として利用されている

 <稲荷社>
 鳥居の背面に「平成十四年五月吉日建之」とある

 <三社大明神>

 <土蔵>
 宝形造、桟瓦葺



【鹿王院の寺宝】

 障壁画・襖絵・絵画

 <絹本著色 夢窓国師像(むそうこくしぞう)1幅(重要文化財)>
 南北朝時代の作
 円覚比丘東陸永興の賛がある
 1906年(皇紀2566)明治39年4月14日 重要文化財に指定される

 <絹本著色 夢窓国師像(むそうこくしぞう)1幅(重要文化財)>
 1386年(皇紀2046)元中3年/至徳3年の作
 至徳丙寅仲夏妙佐の賛があり
 1922年(皇紀2582)大正11年4月13日 重要文化財に指定される

 <絹本著色 釈迦三尊及三十祖像(しゃかさんぞんおよびさんじゅっそぞう)7幅(重要文化財)>
 室町時代前期に東福寺の公用画僧として活躍した明兆の作
 釈迦三尊像は、霊山会上での拈華微笑(ねんげみしょう)の因縁を描いたもの
 三十祖像は、「行年七十五明兆」の款記があり、1426年(皇紀2086)応永33年、明兆が75歳のもの
 各祖師の頭上には、春屋妙葩の嗣子 厳中周による各祖師の略伝賛文がある
 30人の祖師は、禅宗の始祖 達磨から、夢窓疎石、春屋妙葩へと連なる法系図絵
 1922年(皇紀2582)大正11年4月13日 重要文化財に指定される

 <絹本墨画 出山釈迦像(しゅつざんしゃかぞう)1幅(重要文化財)>
 南北朝時代の作
 1922年(皇紀2582)大正11年4月13日 重要文化財に指定される

 <紙本墨画 蘭石図 1幅(重要文化財)>
 室町時代の画僧 玉畹梵芳(ぎょくえんぼんぽう)の筆
 自賛がある
 1922年(皇紀2582)大正11年4月13日 重要文化財に指定される

 <舎利殿の涅槃図
 江戸時代初期の13世 松嶺和尚のとき、堺から寄進されたもの

 古文書

 <紙本墨書 後醍醐天皇宸翰御消息(しんかんごしょうそく)1幅(重要文化財)>
 1318年(皇紀1978)文保2年12月29日とある
 後醍醐天皇の自筆
 後宇多天皇の加筆がある
 1916年(皇紀2576)大正5年5月24日 重要文化財に指定される

 <紙本墨書 金剛院文書(こんごういんもんじょ)1巻(重要文化財)>
 南北朝時代
 八月廿八日崇光天皇宸翰御消息外七通
 1916年(皇紀2576)大正5年5月24日 重要文化財に指定される

 <夢窓疎石筆臨幸私記(むそうそせきひつりんこうしき)1巻(重要文化財)>
 1350年(皇紀2010)正平5年/観応元年の筆
 1949年(皇紀2609)昭和24年2月18日 重要文化財に指定される
 附指定:天竜寺造営記 1巻

 <鹿王院文書(ろくおういんもんじょ)808通(重要文化財)>
 17巻、4冊、4帖、31幅、653通
 平安時代から 桃山時代の古文書
 1916年(皇紀2576)大正5年5月24日
 崇光上皇宸翰書状等の宸翰一巻(4通)が「紙本墨書鹿王院文書」として重要文化財に指定される
 2024年(皇紀2684)令和6年8月27日 804通が追加指定される

 <足利義満自筆書状>
 茶室芥室の軸
 1379年(皇紀2039)天授5年/康暦元年
 南禅寺山門破却事件以降に、丹後に9年間隠棲していた春屋妙葩が、
足利義満の再三の依頼に応じて上洛を決意したことへの感謝と期待の書状
 「其後久不申承候条 御無心元候、御上洛事 悦喜仕候、妙事以面可申 承候、恐惶謹言
 四月廿四日 義満(花押)
 其の後、久しく申し承らず候条ご無心の元に候 こ上洛の事
 悦喜仕り候 妙事は面するを以って申し承るべく候 恐惶謹言」

 書跡・典籍

 <紙本墨書 春屋妙葩墨跡(しゅんおくみょうはぼくせき)1幅(重要文化財)>
 開山 普明国師 春屋妙葩が死去する2日前に書かれた遺偈
 1388年(皇紀2048)元中5年/嘉慶2年8月11日の筆
 掛幅装 縦32.8cm、横69.5cm
 2006年(皇紀2666)平成18年6月9日 重要文化財に指定される

 <夢窓疎石墨蹟(むそうそせきぼくせき)2幅(重要文化財)>
 1346年(皇紀2006)正平元年/貞和2年
 丙戌貞和二春季
 夢窓疎石の甥で法嗣の春屋妙葩に与えた字号と偈
 1971年(皇紀2631)昭和46年6月22日 重要文化財に指定される

 <扁額>
 山門の「覚雄山」の三字額は、足利義満が23才の時の自筆
 客殿の「鹿王院」の三字額は、足利義満が24才の時の自筆

 仏像・彫刻

 <釈迦如来像
 本尊
 仏師 運慶の作

 <十大弟子>
 仏師 運慶の作


【鹿王院の祭事】

 <開山忌(舎利会)
 10月15日
 この日だけ、源実朝が宋から得たという中国伝来の仏舎牙利が公開される

【鹿王院へのアクセス】

 JR山陰線 嵯峨嵐山 徒歩約10分
 嵐電 嵐山線 鹿王院駅 徒歩約3分
 市バス・京都バス 下嵯峨 徒歩約3分

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