金札宮(きんさつぐう)(KinsatsuGuu) 京都通メンバ
所在地:京都市伏見区鷹匠町   鳥居地図情報鳥居

祭神:天太玉命(白菊明神)・天照大神・倉稲魂神

社格:村社

創建:750年(皇紀1410)天平勝宝2年

別称:天太玉命(白菊明神)

ご利益:火難除け・商売繁盛・福の神さん

 金札宮(きんさつぐう)は、伏見 丹波橋駅の西、京都市伏見区総合庁舎の北側付近にある寺院

 A HREF="https://www.kyototuu.jp/Temple/KiunJi.html" Title="喜運寺">喜運寺の南隣、大黒寺の向かいにある

 伏見の古い神社の一つで、久米村(くめのしむら)の産土神さんとして崇敬されてきた

 観阿弥作の謡曲「金札(きんさつ)」に縁起が描かれている



【金札宮の歴史・経緯】





【金札宮の祭神】

 五穀豊育・火難除去・家運隆昌の祖神とされる三神

 人の心に宿る邪悪な情を祓い、正直な道に帰らせ、何ごとも道理に基づいた考えや行動を得ることによって開運を導くとされる


 <天太玉命(あめのふとだまのみこと)>
 白菊翁・白菊大明神

 天太玉命は、占いの神さん・神事を司る神さん
 天照大御神が天の岩戸に隠れられたとき、天照大御神の前に鏡を差し出し、注連縄を岩戸の入口に張った
 祓い清める絶大な力をもち、福を呼ぶための基本となる環境、精神を整えることのできる神さん

 白菊翁は、天太玉命が現世に現れた姿で、平安京遷都により都となった土地を祓い清める重要な役目を担った


 <天照大御神

 <倉稲魂命



【金札宮の境内】

 <拝殿>

 <本殿>
 現在の社殿は、1848年(皇紀2508)嘉永元年の再建

 <末社 金刀比羅社>
 境内左側、一番手前に祀られている
 1869年(皇紀2529)明治2年遷座

 <末社 恵比須社>
 1869年(皇紀2529)明治2年遷座

 <末社 常磐稲荷社>
 白滝、白姫大明神
 2007年(皇紀2667)平成19年4月に鎮座

 <末社 橋吉稲荷社>
 2002年(皇紀2662)平成14年7月に鎮座

 <末社 公岡稲荷大明神>
 1891年(皇紀2551)明治24年頃に勧請される

 <末社 大國主命・事代主命>
 1891年(皇紀2551)明治24年頃に勧請される


 <ご神木 クロガネモチ(京都市指定天然記念物 )>
 モチノキ科モチノキ属の常緑高木、雌雄異株
 境内の中央部2m四方の石柱囲柵の中に立つ
 この樹は雌木で、秋から冬に赤い実をつける
 樹高10.6m、胸高周囲2.2m
 樹齢千年から千二百年ともいわれる
 1754年(皇紀2414)宝暦4年の「山城名跡巡行志」巻5にも記されている
 1984年(皇紀2644)昭和59年6月1日指定



【金札宮の文化財】

 <剣鉾 2本>
 1794年(皇紀2454)寛政6年の銘がある
 身65.1cm、茎13.4cm、全長78.5cm


 <「金札(きんさつ)」>
 観阿弥作の古い脇能で五番目物
 金札宮の縁起が描かれている

 平安京へ遷都の後、桓武天皇は、伏見に神社建立のために勅使を遣わす
 神のお告げを待つと、伊勢の国阿漕ヶ浦からの老翁がおり、造営にちなむ木尽しの歌を謡う
 天からは金札が降り、札には、伏見に住すると誓う言葉が記されていて、老翁は、消える
 天から声がして「我は伊勢神宮の使いの天津太玉神(あまつふとだまのしん)である」という
 里の男が現れ「本社と並べて金札の宮を造れば、天下泰平の御守がある」と告げる
 天津太玉神も現れ、悪魔を祓い御代を祝福し舞う

【金札宮の祭事】

 <初詣>
 1月元日から3日
 末社 恵比須神の御朱印授与

 <宵戎寶惠駕籠巡行(恵比須宝恵駕籠巡行)>
 1月9日・10日
 末社 恵比須神の御朱印授与
 かつて中書島の花街の芸妓を寶惠駕籠に乗せて巡行していたといわれる
 2010年(皇紀2670)平成22年1月9日
 55年ぶりに復活する

 <追儺式・節分会>
 2月節分
 赤鬼・青鬼の一行が伏見の町を大暴れする

 <春季例大祭>
 5月15日・16日

 <お火焚祭>
 11月23日

【その他】

 <白菊翁の伝説>
 「山城名跡巡行志」巻5によると
 750年(皇紀1410)天平勝宝2年
 長さ2丈(約6m)の流れ星が現れる異変が起き、孝謙天皇も深く憂慮された
 伏見の久米の里に、白菊を植えて楽しんでいる翁がいて、所業が奇妙だとして、里人が名前を尋ねると
 「吾は、天太玉命(ふとだまのみこと)で、天下の豊秋を喜び、年久しく秋ごとに白菊を賞でて来たり、
もし干天(日照り)で稲が枯れるときには、白菊の露を潅がむ(そそがむ)」と言う
 翁が、手に持った白菊を打ち振うと、たちまち清水が湧きでて
 「人々一度この白菊に霑えば(うろおえば)、たちどころに福運来て、家運は長く隆盛し、子孫繁栄、災禍から除かれるであろう」と言う

 里人は驚きいて、天皇に奏上すると、孝謙天皇も喜び「金札白菊大明神」の宸翰(しんかん)(天皇自筆)を里人に与えた
 里人は、社殿を造営したという

 社殿の建設中に、「永く伏見に住んで国土を守らん」と記された金の札が天から降ってきた
 里人たちが集まってくると空から声がして
 「我こそは天照大神より遣わされた天太玉命なり、我を拝まんとすれば、なお瑞垣(みずがき)を作るべし」と言われたという

 <白菊石>
 白菊の翁が姿を変えたという神石
 かつては境内にあったが、御香宮神社に遷されたといわれる


 <白菊井>
 現在の境内の250m西方、御駕篭町(おかごちょう)の旧社地にあった井戸
 伏見の名水とされる清水が湧き出ていたが、埋没された

 1989年(皇紀2649)平成元年
 伏見板橋小学校の6年生が卒業記念に井戸の復活を計画し、卒業生の井戸掘り名人に頼み、地下水を掘り当てることに成功
 板橋小学校はかつて金札宮のあった場所といわれている
 「板橋白菊の井戸」と名付けられた

【金札宮へのアクセス】

 京阪電車 京阪本線 丹波橋駅 徒歩約5分
 近鉄電車 京都線 近鉄丹波橋駅 徒歩約5分
 市バス 肥後町 徒歩約5分



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