浄福寺(じょうふくじ)
(JyoufukuJi) 京都通メンバ
所在地:京都市上京区浄福寺通一条笹屋町 
   卍地図情報卍

浄土宗知恩院派の寺院

山号:恵照山(えしょうざん)

本尊:阿弥陀如来

創建:延暦年間(782年~806年)

開基:賢憬大僧都(けんけいだいそうず)(奈良 興福寺の学僧 )

開山:一誓

通称:村雲寺(むらくもてら)、赤門寺(あかもんでら)

洛陽四十八願所地蔵めぐり第14番(浄土引接地蔵)

 浄福寺(じょうふくじ)は、西陣の町家が立ち並ぶ住宅街の中にある浄土宗の寺院

 浄福寺通に面する東門が、朱に塗られており「赤門寺」とも通称される

 2棟から構成される両下造の本堂は「日本最古の違法建築」といわれる

 境内は地域住民のコミュニティとして解放されている観光寺院ではない歴史ある寺院

浄福寺の写真集のページ

【浄福寺の歴史・経緯】


【浄福寺の伽藍】

 江戸時代中期の浄土宗寺院の伽藍配置様式が整っている

 8棟が京都市指定有形文化財に指定されている


 <東門(赤門)(京都市指定文化財)>
 浄福寺通に面している
 全体が朱に塗られており「赤門寺」とも通称される
 江戸時代後期の再建

 <南門(黒門)(京都市指定文化財)>
 一条通からの参道の山門
 1657年(皇紀2317)明暦3年の再建

 <本堂(京都市指定文化財)>
 後奈良天皇から賜った本尊 阿弥陀如来坐像が、金箔厨子に祀られている
 江戸幕府の「三間梁機制(1666年(皇紀2326)寛文6年)」により、
建物の上屋の梁間が3間(5.9m)に制限され、
徳川吉宗によって寺院にも厳格に適用され、2つの建物からなる様式で建立されている
 1733年(皇紀2393)享保18年の再建

 仏殿(内陣)
 北側の寄棟造

 礼堂(外陣)
 南側の入母屋造

 礼堂の屋根の上に仏殿屋根が重なり、両屋根の下に両下造の「合の間」が二棟を繋いでいる
 外観からは南北に2つの建物が並列するように見えるが、
内部は2つの建物の部屋を1つの部屋とし、奥行き9間の大広間を造った
 「日本最古の違法建築」といわれる


 <玄関(京都市指定文化財)>
 柱に、薩摩藩藩士による刀傷が残っている
 1734年(皇紀2394)享保19年の再建

 <方丈(京都市指定文化財)>
 室町時代阿弥陀如来立像が祀られている
 壁面には、空を舞う天狗(飛天)が描かれている
 1764年(皇紀2424)明和元年の再建

 <書院(京都市指定文化財)>
 1734年(皇紀2394)享保19年の再建

 <枯山水庭園
 天龍松、龍の浮き彫りのある燈籠、景石などが置かれている

 <釈迦堂(京都市指定文化財)>
 三間
 鎌倉時代の清凉寺式の三国伝来といわれる釈迦牟尼仏が祀られており、
嵯峨釈迦堂(清凉寺)に対して、「西陣釈迦堂」と称される
 1756年(皇紀2416)宝暦6年の再建

 <護法堂>
 東門(赤門)を入ってすぐ右側にある
 護法大権現(火災から守った天狗)が祀られている
 天狗や、天狗の団扇の絵馬が飾られている

 <諸天善神社・鞍馬山遥拝所>
 東門(赤門)を入ってすぐ右側、護法堂の奥(北側)にある
 天狗が住んでいるといわれる鞍馬山を拝する

 <宝蔵>
 東門(赤門)から入って境内参道の右側にある
 一切経と文殊菩薩が祀られている

 <鐘楼(京都市指定文化財)>
 1628年(皇紀2288)寛永5年の再建

 <地蔵堂>
 墓地の入口の左側にある
 引摂地蔵菩薩立像(南無地蔵大菩薩)が祀られている
 四柱造、本瓦葺
 洛陽四十八願所地蔵めぐり第14番

 <弁財天社>
 鳥居・拝殿の奥にある3社の真ん中に立つ

 <天満宮>
 3社の右側に立つ

 <稲荷社>
 3社の左側に立つ

 <クロガネモチ(上京区区民誇りの木)>
 護法堂の裏に立っている
 もちのき科 常緑高木 雄木
 樹高:9.00m、枝張:12.1m、幹周:3.95m
 天明の大火のときに、鞍馬の天狗が天から舞い降りてきて、
木の上から大団扇で扇いで門前で火を止めたといわれ「ミズモチ」と称される

 <欅(ケヤキ)(上京区区民誇りの木)>
 本堂の正面右側に立つ
 にれ科 落葉高木
 樹高:21.5m、枝張:22.0m、幹周:3.90m

 <菩提樹
 玄関の前に立つ

 <塔頭 長徳院>
  東門(赤門)から入って境内参道の右側、宝蔵の奥(西側)にある
 薬師堂に、千体薬師如来・日光菩薩・月光菩薩が祀られている

 <塔頭 松聲院>
  東門(赤門)から入って境内参道の右側、塔頭 長徳院の奥(西側)にある

 <霊妙心院墓陵>
 光格天皇皇女 霊妙心院(れいみょうしんいん)のお墓・宝篋印塔がある

 <墓地>
 公卿などのお墓がある
 桃山時代の富商 粽菓子商 川端道喜のお墓
 江戸時代の能楽・狂言師 鷺流初代 鷺仁右衛門のお墓
 江戸時代の医師 古医方 名古屋玄医のお墓
 江戸時代の画家 山田文厚のお墓
 江戸時代の歌人 柳原安子のお墓

 <浄福寺幼稚園>
 東門(赤門)から入って境内参道の左側(南側)にある


【浄福寺の寺宝】

 <木版画「阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図」2幅(重要文化財)>
 鎌倉時代の作
 東京国立博物館寄託

 <絹本著色「十王像」10幅(重要文化財)>
 冥界に棲むという10人の王を描いた十王図
 人の死後7日後毎に、その後は100日、一周忌、三回忌の節目に、これらの王により生前の罪業を裁かれるといわれる
 通常は7度の裁きが行われ、決まらなければ追加で3回の審理が行われるといわれる
 1489年(皇紀2149)延徳元年 土佐光信の筆
 かつて宮中の仏事に使われていた
 1530年(皇紀2190)享禄3年
 後奈良天皇により賜る
 京都国立博物館寄託

 <木彫漆箔 阿弥陀如来像
 本堂の内陣の須弥壇上に祀られている本尊
 胎内背部に「永長元年」(1096年(皇紀1756)永長元年)の銘がある

 <「栴檀瑞像 釈迦牟尼仏像」(せんだんずいぞうしゃかむにぶつ)>
 釈迦堂に祀られている
 清凉寺式の三国伝来といわれる釈迦牟尼仏像
 中国で作られた生前の釈迦の姿を写したといわれる清凉寺釈迦如来立像(国宝)を、鎌倉時代に模刻されたもの
 嵯峨釈迦堂(清凉寺)に対して、「西陣釈迦堂」と称される
 かつては、秘仏とされていた

 <引摂地蔵菩薩立像>
 地蔵堂に祀られている地蔵菩薩立像(南無地蔵大菩薩)
 極彩色、像高2m
 右手に錫状、左手に宝珠を高く掲げており、円光の光背がある
 江戸時代の作

 <本堂裏堂 障壁画「拈華微笑図」>
 江戸時代の鶴沢探鯨の筆

 <方丈天井龍図「鳴き龍」>
 江戸時代-近代の山田文厚の筆

 <方丈障壁画「十六羅漢図」「虎の絵」>
 江戸時代の岸駒の筆

 <「阿弥陀教変相図」>
 土佐光信の筆

 <「寒山拾得之図」>
 山田文厚の筆

 <「法然上人絵伝」>
 江戸時代の画僧 古礀(こかん)の筆

 <鰐口(重要文化財)>
 1273年(皇紀1933)文永10年の銘がある
 現在は、西教寺(大津市)に移されている


【その他】

 <天狗の故事
 1788年(皇紀2448)天明8年
 天明の大火で、伽藍の一部が焼失するが、本坊は類焼を免れた
 鞍馬の天狗が天から舞い降りてきて、クロガネモチの木の上から大団扇で扇いで、赤門の前で火を止めたといわれる
 クロガネモチの木は「ミズモチ」と称される
 護法堂に護法大権現として天狗が祀られている


 <薩摩浄福寺党>
 幕末維新
 浄福寺の客殿、本坊などを宿所にした20人ほどの薩摩藩の下級武士のことを称する
 薩摩藩の藩邸は錦小路通などにあったが、
1867年(皇紀2527)慶応3年3月、700人ほどが入京してきて、新設された薩摩藩邸にも収容できず、
浄福寺にも宿泊した
 玄関の柱などに薩摩浄福寺党らがつけた刀傷が残されている

浄福寺の写真集のページ

【浄福寺へのアクセス】

 市バス 今出川浄福寺 あるいは 千本中立売 徒歩約5分
 市バス 千本今出川 徒歩約10分

LINEで送る

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

写真集のページ

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク