東本願寺(ひがしほんがんじ)(HigashiHonganJi)

正式名称:真宗本廟(しんしゅうほんびょう)

所在地:京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町   卍地図情報卍

浄土真宗真宗大谷派の本山

本尊:阿弥陀如来

創建:教如(きょうにょ)

浄土真宗五門跡の一つ

 東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都駅の北にある寺院

 6月上旬から睡蓮花の名所

 「東本願寺の銀杏(いちょう)」が、下京区の下京八景に選定されている

【東本願寺の歴史・経緯】




【東本願寺の伽藍】

 江戸時代に4度の火災に見舞われている
 建築、障壁画などは、当時の技術の粋を集めている

 <御影堂(ごえいどう)(大師堂)(重要文化財)
 境内のほぼ中心に建っている
 内陣本間に、宗祖 親鸞聖人の御真影(坐像)が安置されている
 一層式裳階付、入母屋造、正面3面に向背、上層三手先、下層二手先、本瓦葺17.6万枚
 外観が二重屋根であるため二層建築に見えるが、下部は裳階であり単層建築
 間口76m(42間)、奥行58m(32間)、高さ38m(21間)
 木造建築としては世界最大級の876坪、畳927枚
 設計は、棟梁 伊藤平左衛門による

 堂内は、内陣・外陣・参拝席に分かれている
 内陣は、横に7つの室に分かれ、中央の間が「内陣本間」、左側に「十字の間」「九字の間」「飛檐の間」、
右側に「六軸の間」「新六軸の間」「御簾の間」がある
 内陣本間の中央に須弥壇上があり、その上に御厨子があり、宗祖 親鸞聖人の御真影(坐像)が安置されている
 内陣本間の左右壇上に、歴代門首の絵像が掛けられている
 御厨子には、幸野楳嶺により「紅梅蓮華図」が描かれている
 六軸之間には、幸野楳嶺により障壁画紙本金色著色「八功徳池図」があり、紅白の蓮華が描かれている
 新六軸之間には、羽田月洲により金地着色「花鳥図」があり、障壁画孔雀と花木が描かれている
 内陣と外陣間の巻障子上の欄間には、雲中天人像、迦陵頻迦などの金色の彫り物がある

 1880年(皇紀2540)明治13年の起工、1895年(皇紀2555)明治28年の再建
 2004年(皇紀2664)平成16年3月から2008年(皇紀2668)平成20年12月、大掛かりな修復工事が行われる
 瓦ぶきの屋根の総重量は約6000トンもあり、内陣の屋根を支える直径約90cmの中柱2本には、
それぞれ188トンもの重さがかかり、2本とも上部で「くの字」に曲がっていることが分かり修復される
 中柱を鋼材で補強し、鉄骨の梁を新たに設けて近くの木柱に重みを分散させた


 <阿弥陀堂(あみだどう)(重要文化財)>
 御影堂の南側に建つ禅宗様の仏堂で、本尊 阿弥陀如来立像を安置する本堂
 禅宗様仏堂建築、単層入母屋造、本瓦葺
 間口52m(29間)、奥行47m(26間)、高さ29m(16間)
 面積488坪、畳401畳、瓦10.8万枚、屋根頂上両端には、3.3mの獅子口瓦2対が置かれている
 設計は、棟梁 伊藤平左衛門による

 堂内は御影堂と同様に、内陣・外陣・参拝席に分かれている
 内陣の本間中央に須弥壇があり、その壇上の宮殿内に本尊 阿弥陀如来立像が安置されている
 本間右側の壇上には、聖徳太子御影の絵像が、本間左側の壇上には、源空上人御影の絵像が掛けられている
 本間から右側を「北余間」と称され、その床上に内側から、龍樹大士御影・天親菩薩御影・曇鸞和尚御影の絵像が、
左側の「南余間」の床上に、道綽禅師御影・善導大師御影・源信僧都御影の絵像が掛けられている
 内陣本間、左右余間の天井・柱・壁全面は、11cm四方の金箔30万枚が漆金箔の技法で貼られている

 1880年(皇紀2540)明治13年に起工して、1895年(皇紀2555)明治28年の再建
 2012年(皇紀2672)平成24年1月から2016年(皇紀2676)平成28年
 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の記念事業の後に、大修復工事が行われ、耐震補強もされた
 前年11月には、本尊 阿弥陀如来立像が御影堂に移す「動座式」が行われた


 <大寝殿>
 境内北にある建物
 15代将軍 徳川慶喜の宿所にあてられた
 上段の間に、竹内栖鳳により「古柳眠鷺図」「著色群雀図(歓喜)」などが描かれている
 1867年(皇紀2527)慶応3年の建立
 山内最古の建築物

 <大玄関>
 大寝殿の玄関にあたる
 1867年(皇紀2527)慶応3年の建立


 <宮御殿>
 大寝殿の奥(西側)の書院造の建物
 襖絵「宮中四季行事」(江戸時代)が描かれている
 1880年(皇紀2540)明治13年
 大宮御所内の宮御殿を、明治天皇により贈られ、1901年(皇紀2561)明治34年に移築された

 <庭園>
 宮御殿前の池泉回遊式庭園
 小川治兵衛による作庭
 池・滝組・築山・正面の御影堂大屋根を借景の山に見立てられている

 <茶室「桜下亭(おうかてい)」>
 曲り木の床柱、繰りぬきの書院棚がある
 座敷に岐阜別院書院から移された円山応挙の障壁画30面がある
 松之間に紙本金地墨画「稚松図」16面
 竹之間に紙本金地墨画「竹雀図」4面、紙本墨画「竹図」4面・床脇壁裏側1面
 梅之間に紙本墨画「白梅図」4面・壁貼付1面がある
 1939年(皇紀2599)昭和14年
 22代宗主 現如の霞ヶ関別邸の一部を移したもの


 <白書院>
 宮御殿の北側にある書院造の建物
 幸野西湖、森本東閣、伊藤鷺城の障壁画がある
 1911年(皇紀2571)明治44年の建立

 <能舞台>
 白書院前にある
 幸野楳嶺による「鏡板の松」「切戸口脇の竹」
 1880年(皇紀2540)明治13年に仮設される
 1937年(皇紀2597)昭和12年に常設される


 <鐘楼(重要文化財)>
 境内南にある
 総欅造、入母屋造、檜皮葺、基壇は亀甲石積
 1894年(皇紀2554)明治27年に建立
 棟梁 9代 伊藤平左衛門
 梵鐘には「慶長九年」の銘があり、1604年(皇紀2264)慶長9年の鋳造

 <手水屋形(重要文化財)>


 <御影堂門(ごえいどうもん)(大門)(大師堂門)(重要文化財)>
 御影堂を正面とする門
 二階二重門、入母屋造、本瓦葺、左右に山廊付き
 南北35m(19間)、東西28m(15間)、高さ28m(15間)、奥行13m
 浄土真宗の聞法の根本道場であることを意味する扁額「真宗本廟」がかかる
 京都三大門の一つともいわれる

 上層には、釈迦如来坐像を中央に、脇侍として向って右側に弥勒菩薩立像、左側に阿難尊者立像の三尊が安置されている
 浄土真宗の正依の経典「浄土三部経」の一つ「仏説無量寿経」の会座を現している
 手前には仏舎利が安置されている
 鏡天井に、竹内栖鳳による「天人飛来の図」が描かれている

 1739年(皇紀2399)元文4年の建立
 設計は市田重郎兵衛、市田辰蔵による
 その後、3度、焼失している
 現在の建物は、1911年(皇紀2571)明治44年の再建
 2012年(皇紀2672)平成24年から2015年(皇紀2675)平成27年に修復工事が行われている


 <阿弥陀堂門(本堂門)(重要文化財)>
 阿弥陀堂を正面とする門
 唐破風四脚門、切妻造、檜皮葺、菊花・桐の紋がある
 1911年(皇紀2571)明治44年の再建
 「唐門」と称されていた


 <勅使門(菊の門)>
 四脚唐門、桁行1丈9尺、梁間1丈7尺、単層、左右切妻造、前後唐破風付、檜皮葺
 黒漆塗り、極彩色の文様が施され、縦に格子が入る、扉に金色の菊花紋章が付けられている
 1911年(皇紀2571)明治44年の再建
 設計は京都府技師 亀岡末吉により「亀岡式」と称される


 <玄関門>
 切妻造、薬医門
 1911年(皇紀2571)明治44年の再建
 棟梁 市田辰蔵による


 <参拝接待所>
 境内のほぼ中央にある総合窓口
 SRC造、1階RC造、地下3階 地上1階
 敷地面積92,387m2、建築面積570m2、延床面積3,487m2

 1998年(皇紀2658)平成10年
 蓮如上人五百回御遠忌の記念事業として、参拝接待所北側地下に「真宗本廟視聴覚ホール」が増設された



【東本願寺の別院】

 <東大谷
 宗祖 親鸞聖人の墓所

 <岡崎別院
 親鸞聖人の草庵

 <伏見別院
 教如上人が、東本願寺が分離される以前に、徳川家康より土地を与えられて創建した

【渉成園】

 <渉成園国の名勝
 1641年(皇紀2301)寛永18年
 宣如(せんにょ)が、徳川家光より土地を与えられ、隠居後に、石川丈山らと作庭する
 御影堂に近接する飛地境内地にある
 渉成園は、陶淵明(とうえんめい)の詩にちなんで名付けられた池泉回遊式庭園
 枳殻(からたち)が植えられていたことから「枳殻邸(きこくてい)」とも称される
 鎌倉時代の宝塔の塔身が利用された手水鉢がある

 頼山陽は、次の「十三景」を選んでいる
 滴翠軒(てきすいけん)、傍花閣(ぼうかかく)、印月池(いんげつち)、五松塢(ごしょうう)、
 侵雪橋(しんせつきょう)、縮遠亭(しゅくえんてい)、紫藤岸(しとうがん)、双梅檐(そうばいえん)
 漱枕居(そうちんきょ)、回掉廊(かいとうろう)、丹楓渓(たんぷうけい)、
 臥龍堂(がりゅうどう)(焼失)、偶仙楼(ぐうせんろう)(焼失)



【東本願寺の寺宝】

 <紙本墨書 教行信証6巻(坂東本)(国宝)
 親鸞聖人が著した、浄土真宗の立教開宗の根本聖典とされ、浄土真宗の教えを解説している
 現存する親鸞聖人の唯一の真筆の書
 正式名称「顕浄土真実教行証文類」
 教・行・信・証・真仏土・化真土の6巻
 鎌倉時代中期 1235年(皇紀1895)嘉禎元年頃の作
 坂東報恩寺(東京)が所蔵していたため「坂東本」と称される
 2004年(皇紀2664)平成16年に、国宝に指定される


 <木像 阿弥陀如来立像
 阿弥陀堂の本尊
 鎌倉時代の作
 高さ約90cm
 2011年(皇紀2671)平成23年11月29日
 阿弥陀堂の修復工事のため、御影堂内に設けられた仮阿弥陀堂に移す動座式が行われた


 <絹本著色 親鸞聖人像(安城御影)(あんじょうのごえい)(重要文化財)>
 親鸞聖人の83歳の頃の影像とされる
 親鸞聖人自筆の讃文がある
 原本は、西本願寺が所蔵(国宝)


 <紙本著色 本願寺聖人伝絵(康永本)4巻(重要文化財)>
 1343年(皇紀2003)興国4年/康永2年の作
 詞書(ことばがき)は、覚如の筆
 絵は、上2巻は康楽寺の円寂、下2巻は、康楽寺の宗舜による筆


 <紙本著色 本願寺聖人親鸞伝絵(弘願本)4巻(重要文化財)>
 1346年(皇紀2006)正平元年/貞和2年の作
 詞書(ことばがき)は、善如の筆
 各巻末に「釋弘願」の法名が署名されているため「弘願本」と称される


 <紙本 一念多念文意(重要文化財)>
 1257年(皇紀1917)正嘉元年の作
 親鸞聖人の注釈がある



【東本願寺の祭事】

 <報恩講(ほんおんこう)>
 11月21日〜28日
 真宗大谷派宗祖 親鸞聖人御正忌(ごしょうき)
 東本願寺の年間最大の行事
 帰敬式(ききょうしき)は「おかみそり」とも称され、仏教に帰依しようとする人が受ける儀式

 <お煤払い>
 12月20日
 東本願寺と西本願寺で行われる

 <晨朝法要(じんじょうほうよう)
 浄土真宗において毎朝行われる勤行
 「晨朝」とは、卯の刻(午前6時頃)のこと
 阿弥陀経などの読誦や法話が行われる
 「おあさじ」「あさじ」「おじんちょう」とも称される

【その他】

 <本願寺水道
 琵琶湖疏水を利用して、東本願寺の防火設備として建設された専用水道
 蹴上義経地蔵の祠の横が本願寺水道水源地になっている


 <東西両本願寺門前町
 京仏壇京仏具、お香などの老舗が軒を連ね、歴史と伝統文化の薫りを感じながら散策を楽しめるエリア

【東本願寺へのアクセス】

 JR京都駅 徒歩約5分

LINEで送る

【京都検定 第1回3級】

60.東本願寺の別邸である渉成園は誰から与えられた地に作られたか?

 京都検定3級の道  左矢印前の問題に戻る左矢印  ・ 右矢印次の問題に進む右矢印

【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第7回3級】

【京都検定 第8回3級】

【京都検定 第10回3級】

【京都検定 第13回3級】

【京都検定 第14回3級】

【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第20回3級】

【京都検定 第21回3級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第19回2級】

【京都検定 第4回1級】

【京都検定 第14回1級】


[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク