赤山禅院(せきざんぜんいん)は、比叡山の西麓の修学院にある延暦寺の別院とされる寺院
平安京の東北に位置する表鬼門にあたり、方除け・鬼門除けの神さんとして信仰されている
拝殿の屋根の上には、京都御所の東北角の猿ヶ辻の猿との延長線上に、御幣と鈴を持った瓦彫の鬼門除けの猿が安置されている
赤山明神の御札を家に貼ると、鬼門除けになるといわれている
参道や境内にはモミジで覆われ、紅葉の名所にもなっている
<赤山大明神(せきざんみょうじん)>
神殿(本殿)に祀られている
中国 唐の赤山の泰山府君(たいざんふくん)が勧請された神さん
泰山府君は、中国五岳(五名山)の中でも筆頭とされる東岳 泰山(とうがく たいざん)(赤山)の守護神
陰陽道の祖神とされる
延暦寺三世 天台座主 慈覚大師 円仁が遺唐使船で唐に渡り、天台教学を納められる
円仁は、その行程を守護した唐の赤山大明神に感謝し、赤山禅院を建立することを誓ったといわれる
日本に戻った円仁は、天台密教の基礎を築くが、赤山禅院の建立は果たせなかった
円仁の遺志を継いで、弟子の天台座主 安慧(あんね)が、赤山大明神を勧請し創建した
以降、赤山明神は、比叡山 延暦寺の別院になり、比叡山 延暦寺の西麓の鎮守社となり、東麓の鎮守社は近江 日吉社とされた
比叡山 延暦寺の横川地区に、赤山明神を祀る祠がある
園城寺(三井寺)(滋賀県大津市)の鎮守社の護法神も、赤山明神と同じ神さんであり、新羅明神(しんらみょうじん)と称されている
白河法皇のとき、三井寺の頼豪阿闍梨が、戒壇を立てたいと願い出る
白河法皇は、延暦寺に配慮して許さないでいると、頼豪阿闍梨は、皇子を祈殺すると脅す
江ノ中納言房卿が、三井寺に遣わされ様子を探ると、頼豪阿闍梨は持仏堂に籠もり念じていた
白河法皇は、皇子を案じて戒壇を許すことにするが、
夢に、赤衣姿、左脇に弓を挟み鏑矢を引き絞った翁が現れ、西塔の赤山だと名乗り、戒壇強要した悪僧を射止めるとの夢告があった
そのため白河法皇は、三井寺に戒壇を立てることを許さなかったといわれる
御神体の赤山明神の神像は、
頭に唐冠、朱の唐服、笏(しゃく)を持ち、左手に弓、右手に矢を持つ毘沙門天のような武将のような姿をしている
赤山明神は、天では福禄寿星、地では泰山府君とされ、同じ神さんとされる
地蔵菩薩の化身ともされる
神仏習合三十番神25番とされる
赤山禅院は、平安京の東北に位置する表鬼門にあたり、方除け・鬼門除けの神さんとして信仰されている
赤山明神の御札を家に貼ると、鬼門除けになるといわれている
千日回峰行を満行した大阿闍梨により「ぜんそく封じ・へちま加持」「珠数供養」「泰山府君祭」などの加持・祈祷が行われている
明治維新には、
神仏習合の文化が理解できない新政府の神仏分離 廃仏毀釈の悪政により荒廃し
「赤山明神」の寺号が、「赤山禅院」とされた
鳥居や神殿などがあったり神道様式、仏教様式が混在している
参道や境内にはモミジで覆われ、紅葉の名所にもなっている
<鳥居>
後水尾上皇が行幸されたときに賜った「赤山大明神」の勅額が掛けられている
(現在は複製品)
<山門>
<参道 石階段>
<手水舎>
<拝殿>
参道の石階段を上がった正面にある
四間、瓦葺
柱に「皇城表鬼門」の額がかかっている
屋根の上には、王城守護のために、御幣とかぐら鈴を持った瓦彫の鬼門除けの猿が安置されている
京都御所の鬼門守護「猿ヶ辻」の猿と向かい合っている
逃げ出さないように、金網の中に入れられている
<地蔵堂(本地堂)>
拝殿の西側(左側)にある
地蔵菩薩が祀られている
赤山大明神は、地蔵菩薩の化身とされる
<神殿(本殿)>
金堂様式
祭神 赤山大明神が、皇城表鬼門の鎮守神さんとして祀られている
赤山大明神は、中国陰陽道の祖神 泰山府君(たいざんふくん)が勧請された神さん
縁側に狛獅子が安置されている
赤山大明神は、地蔵菩薩の化身とされ、地蔵菩薩の種字「カ」の扁額が掛けられている
背後に、祭祀が行われていた下殿がある
<弁天堂>
神殿の西側(左側)奥にある
出世弁財天が祀られている
「出世辨財天」の扁額がかかっている
<十六羅漢石仏>
弁天堂の奥に安置されている
<福禄寿殿>
境内、東北の奥(神殿の右奥)にある
「七宝堂」の扁額がかかる
多くの福禄寿神仙が祀られている
都七福神めぐりの一つ
祭神 赤山明神は、天では福禄寿星、地では泰山府君とされ、同じ神さんとされる
三徳(幸運・高禄・長寿)のご利益があるといわれる
<七福神像>
福禄寿殿の横に、七福神が一列に安置されている
<雲母不動堂(きららふどうどう)>
拝殿の東側(右側)にある
雲母寺(うんもじ)の本堂と、本尊 不動明王が移されたもの
不動明王は、伝教大師 最澄の作といわれる
十二支の蟇股が施されている
石碑「正念珠」「還念珠」が立っている
平安時代
比叡山 延暦寺と赤山禅院を結ぶ雲母坂に、千日回峰行の創始者 相応和尚により創建される
石川丈山の筆による「雲母寺」の横額が掲げられていた
明治維新のとき、神仏習合の文化が理解できない新政府の神仏分離 廃仏毀釈の悪政により廃寺になる
現在も、伝統に則り、大阿闇梨により護摩供が行われている
<相生社>
出会う2つの事の間に相生効果がもたらされ、良い結果が出ることを願う縁結びの神さんが祀られている
<新羅明神社>
924年(皇紀1584)延長2年の創建
祭神:新羅明神(しんらみょうじん)(赤山明神と同じ神さん)
慈覚大師 円仁が、838年(皇紀1498)承和5年に、遺唐使船で唐に渡ったとき、
山東半島の港町 赤山で新羅人の張保皐(ちょうほこう)に、求法の旅の支援を受け、
張保皐が暗殺された後は、直属の家来 将張詠が奔走し、新羅船により帰国することができた
円仁は、新羅人が祀っていた赤山明神を日本に勧請することを願ったが、その前に亡くなった
園城寺(三井寺)(滋賀県大津市)の鎮守社には、新羅明神として祀られている
<正念珠>
<還念珠>
自分の手の数珠を繰り、赤山明神の真言を唱え、この正念珠をくぐり本殿で、本尊の誦修法(正念誦)を行う
その後、境内を一巡した後に、
入口の「還念珠」で数珠を持ち、功徳を衆生に回向するために発願文を唱える
<書院>
<絵馬堂>
<駒滝堂(御滝籠堂)>
<延命地蔵>
<金神社>
<歓喜天社>
<手水舎>
<逆立ちした狛犬>
<御手洗井戸>
屋形の屋根瓦に2匹の猿の屋根瓦が乗っている
<石碑「気学発祥地」>
生年月日の九星・干支・五行を組合わせた占術で、方位の吉凶が占われる
1909年(皇紀2569)明治42年
園田真次郎により、気学(きがく)としてまとめられた
<石碑「赤山の香水」>
拝殿近くに立っている
<石碑「心友」>
神殿の瑞垣の前に立てられている
「心友 石坂まさを
自らの心の子と書いて 息子というなら 俺がやり残したことを 受け継いでくれ
このひとすじの道 あせらず急がず 男らしく何かを 成し遂げてくれ
風に狂って生きても 風の優しさ忘れず 風の旅人のように 夢を追ってくれ」
<ヤマモモの木々>
<赤山明神 神像>
毘沙門天に似た武将をかたどる神像
頭に唐冠、朱の唐服、笏(しゃく)を持ち、左手に弓、右手に矢を持つ
陰陽道の祖神であり、中国の泰山府君(たいざんふくん)を勧請したもの
延命富貴・商売繁盛の神さんとして祀られている
<不動明王立像>
八尺(約2.4m)
伝教大師 最澄の作といわれる
明治維新の神仏分離 廃仏毀釈の悪政により廃寺になった雲母寺の本尊だったもので、赤山禅院に遷された
現在も、伝統に則り、大阿闇梨により護摩供が行われている
<新春八千枚大護摩供>
1月5日
一年間の厄除け・家内安全など、参拝の方々の所願成就が祈願される
<節分会>
2月節分
<泰山府君祭(たいざんふくんさい)>
5月5日
端午大護摩供(たんごおおごまく)が、大阿闍梨により雲母不動堂で行われ、大般若経転読、御詠歌が奉納される
蓬の大祓の輪がおかれる
<ぜんそく封じ へちま加持>
中秋の名月
天台宗の秘法
月が次第に欠けていくように病を減じさせるため中秋の名月に行われる
延暦寺の大阿闍梨が加持した「へちまの御符」を持ち帰り祈願すると、ぜんそくに効き目があるといわれる
お札の授与と、御神酒、粗飯、へちま汁、抹茶の接待などが行われる
<珠数供養>
11月23日
千日回峰行大行満大阿闍梨祈祷の珠数の輪くぐりや、使われなくなった珠数の炎によるお浄めお焚き上げが行われる
京都珠数製造卸協同組合の主催による
<紅葉まつり>
11月中旬
「紅葉寺」とも称される、モミジの木々に覆われている紅葉の名所
<都七福神めぐり>
日本で最も古い七福神めぐりといわれる
赤山禅院の祭神 赤山大明神は、七福神の福禄寿と同一神とされている
福禄寿殿が建てられ、多くの福禄寿神仙が祀られている
三徳(幸運・高禄・長寿)のご利益があるといわれる
福禄寿の姿をした木製手作りの「姿みくじ」(高さ5cm / 直径2cm)が授与されている
正月の参詣と、毎月7日が縁日とされる
<千日回峯行>
天台宗の修行のなかでも随一の荒行とされる
平安時代初期
比叡山 延暦寺の相應和尚により開創された
法華経のなかの常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の精神を具現化したものといわれ、
山川草木ことごとくに仏性を見いだし礼拝して歩く
行者は、頭に未開の蓮華をかたどった桧笠をいただき、白装束をまとい、
八葉蓮華の草鞋をはき、腰には死出紐と降魔の剣をもつ姿をしている
修行が半ばで挫折するときは、自ら生命を断つという厳しさを示す死装束ともいわれる
7年間の1年目から3年目までは、
比叡山 無動寺谷の明王堂を出発し山廻りをして明王堂に戻る1日約30kmの行程を毎年100日間
4年目と5年目は、同じく1日約30km、それぞれ200日間、山廻りする
堂入り
700日を満じると、明王堂に籠もり、9日間、断食・断水・不眠・不臥(横にならず)で不動真言を唱え続ける
満行すると「阿闇梨」と称され、生身の不動明王になるとされる
赤山苦行
6年目の100日、比叡山 山廻りの後、比叡山から雲母坂を降登往復して、諸仏諸菩薩を巡拝する
1日15時間を要する約60kmの荒行が行われる
毎日、赤山明神に花が供せられる
京都大廻り
7年目の前半の100日間
夜中に比叡山の山廻りをして一度、明王堂に戻る
朝、京都側に降りて、赤山禅院で草履を履き替える
赤山禅院でお加持(三力の統一・行者の法界力・一般社会の法界力・不動明王のご加護力)を行う
その後、赤山禅院を出て、約30kmの京都市内の神社仏閣を巡拝する
工程は、雲母坂・赤山禅院・真如堂・行者橋・八坂神社・八坂庚申堂・清水寺・六波羅蜜寺・因幡薬師堂・神泉苑・五條天神宮・
北野天満宮・西方尼寺・上御霊神社・下鴨神社・河合神社などを経て、夕方に宿舎に着く
翌日の夜中に宿舎を出発し、逆に巡拝して、午前中に明王堂に戻る約84kmの荒行になる
7年目の後半の100日間は、最初の比叡山 山廻り約30kmの工程となる
千日の満行を終えると「大阿闇梨」と称される
<商慣習「五十日(ごとおび)」の由来>
「五日払い」「五十払い(ごとばらい)」の起源とされている
赤山明神の賽日である5日に参詣して懸取り(かけとり)に回ると、集金がよくできるといわれる
赤山を「しゃくせん(借銭)」と読み替えて、「掛取神(かけとりがみ)」と称して、
貸金を取り立てる商売保護・繁盛の神さんとして信仰された