地図情報
高倉通(たかくらどおり)は、京都市市内の中心部の南北の通りの一つ
途中、渉成園により分断している
新幹線・JR東海道線により、車道は、高倉跨線橋で大きくカーブして八条通で竹田街道に接続している
名前は、平安時代に藤原氏の別邸 高倉殿があったことに由来する
京都市市街の中心部を南北に走る生活道路
ほとんどが一方通行
北端の丸太町通から南端の十条通まで、全長約3.5km
佛光寺の境内があるため、仏光寺通と高辻通の間が東側にズレている
渉成園があるため上数珠屋町通と下数珠屋町通の間が分断されている
新幹線・JR東海道線の高倉跨線橋を超えて、車道は西向きに大きくカーブして八条通で竹田街道に接続している
江戸時代
竹屋・扇骨・籠細工・つづら・とい竹など竹製品を扱う店が多かったといわれる
錦小路付近には、青物問屋も多かったといわれる
<足利尊氏邸・等持寺跡>
<御所八幡宮>
<京都府京都文化博物館>
<京都市立高倉小学校>
<錦小路通>
<大丸京都店>
<神明神社>
<大行寺>
<佛光寺>
<教音院>
<光薗院>
<長香寺>
<末廣稲荷神社>
<西念寺>
<千喜万悦天満宮>
<浄運院>
<宗仙寺>
<高市稲荷神社>
<渉成園>
<京都市立下京渉成小学校>
<七条仏所跡>
<正行院(さる寺)>
<九品寺>
<宇賀神社>
<長谷川歴史・文化・交流の家>
<新高倉通>
江戸時代中期
北は下立売通まで伸びていたが、御所周辺の公家町の拡大によって、丸太町通までとなる
丸太町通以北にあった町家は鴨川東岸へ移転させられ、そのとき開かれた通りが新高倉通として現存している
<祇園祭 還幸祭>
7月24日の還幸祭において、西御座神輿が高倉通の錦小路通から四条通を渡御する
<祇園祭 山鉾巡行>
南北朝時代から祇園会の山鉾巡行が行われるようになる
1454年(皇紀2114)享徳3年6月14日(現在の7月24日)
「師郷記」宝徳三年六月十四日条によれば、足利義政に室町殿に参るように命じられたため、
山鉾は、万里小路を北へ進み、鷹司小路を西に左折して、高倉小路を北へ進んだといわれる
足利義政は、高倉小路と武者小路との交差点の北東角にあった烏丸殿の四足門の北に桟敷を構えて見物したといわれる
<京都御苑 九條池の高倉橋>
京都御苑南側の九條池(勾玉池)に南北に架かっている反橋
1882年(皇紀2542)明治15年
明治天皇が、京都御所に戻られることで、建礼門から南に丸太町通まで一直線の道を造ることになり
九條池に反橋が架けられた
<堀川波鼓>
江戸時代初期の近松門左衛門の浄瑠璃において、京都市の南北に走る通りを順に読み込んだ数え歌
現在の通りと比較すると、堺町通と間之町通の間の高倉通が抜けている
近松門左衛門が意図的に抜いたものかどうかは不明
京都通メンバページ
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