地図情報
万寿寺(まんじゅじ)は、東福寺の塔頭
東福寺境内とは離れており、JR東福寺駅の東側、九条通に南面している
かつては、単独の大寺で、天龍寺・南禅寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山の一つとして栄えた
<東福寺鐘楼(とうふくじしょうろう)(重要文化財)>
「万寿寺鐘楼」とも称される
万寿寺の境内の入口にある鐘楼門
上層に鐘を吊るし、下層は門となっている
室町時代
かつて三聖寺(さんしょうじ)に建立される
明治維新
1873年(皇紀2533)明治6年
三聖寺が、明治政府の廃仏毀釈の悪政により廃寺にさせられ、隣接していた万寿寺に移される
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、桟瓦葺
現在は東福寺の所有
1902年(皇紀2562)明治35年7月31日 「東福寺鐘楼」として重要文化財に指定される
<客殿(方丈)(京都府指定文化財)>
本堂とされている
江戸時代中期の建立
<庫裏>
<二王門(におうもん)(重要文化財)>
東福寺北門を入ったすぐ奥に直角に建つ八脚門
万寿寺の境内の南北が分断されて、南側の境内が東福寺に残った遺構
現在は東福寺の所有
大きな仏堂の材を利用されたといわれ、柱が太く、組物・妻飾り細部の様式が珍しい
三間一戸(柱間3つ、通路1つ)、八脚門、切妻造、本瓦葺
1597年(皇紀2257)慶長2年の建立
1924年(皇紀2584)大正13年4月15日 重要文化財に指定される
<三聖寺愛染堂(さんしょうじあいぜんどう)(重要文化財)>
通天橋を渡った、開山堂の西側に建つ
南を正面にした丹塗りの八角小円堂
内部は、瓦敷、鏡天井となっており、須弥壇上に宝塔形の厨子が置かれ、愛染明王が祀られている
唐様を主とした鎌倉時代末期の優雅さを持った現存する貴重な遺構
角円堂、一重、宝形造、こけら葺
室町時代前期
東福寺の北にあった三聖寺(さんしょうじ)に建立される
明治維新
1873年(皇紀2533)明治6年
三聖寺が、明治政府の廃仏毀釈の悪政により廃寺にさせられ、隣接していた万寿寺の所有になり、
「万寿寺愛染堂」とも称されていた
現在は東福寺の所有
1934年(皇紀2594)昭和9年 室戸台風で倒壊する
1937年(皇紀2597)昭和12年 現在の地に移された
1898年(皇紀2558)明治31年12月28日 重要文化財に指定される
<江戸時代末期>
「再撰花洛名勝図絵(1864年(皇紀2524)元治元年)」に万寿寺の境内図が描かれている
南から仁王門、二天門、仏殿、客殿(方丈)が一直線上に建てられていた
仏殿の北東に鐘楼、その北に庫裏が建てられていた
三聖寺が、万寿寺北東にあった
<木造 阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)1躯(重要文化財)>
本尊の阿弥陀如来
結跏趺坐し弥陀定印を結ぶ
像高281.8cm(丈六)、定朝様、寄木造、漆箔
1097年(皇紀1757)承徳元年
恵心僧都 源信の作といわれる
白河法皇が、長女 郁芳門院の追善のために建立した六条御堂の本尊
かつて三聖寺の仏殿に祀られていた
現在は、東福寺の光明宝殿で保管されている
1897年(皇紀2557)明治30年12月28日 重要文化財に指定される
<木造 金剛二力士立像 2躯(重要文化財)>
憤怒相の金剛力士
鎌倉時代初期
仏師 運慶の作といわれる
かつて、二王門に安置されていたもの
阿形は、203cm、左に顔を向け右手に金剛杵を掲げ、左掌は胸前で開いている
吽形は、207.3cm、逆くの字に構え、左手に金剛杵、右手は目前で開いている
1901年(皇紀2561)明治34年8月2日 重要文化財に指定される
<釈迦三尊像(東福寺仏殿の本尊)>
1881年(皇紀2541)明治14年
東福寺の仏殿が焼失したときに万寿寺から移されたもの
かつては、三聖寺に安置されていたものだといわれる
<絹本著色 淡彩聖一国師像(たんさいしょういつこくしぞう)1幅(重要文化財)>
1279年(皇紀1939)弘安2年
弘安二年の自賛がある
京都国立博物館に寄託されている
1949年(皇紀2609)昭和24年2月18日 重要文化財に指定される
<絹本著色 八相涅槃図(はっそうねはんず)1幅(重要文化財)>
鎌倉時代の作
京都国立博物館に寄託されている
1907年(皇紀2567)明治40年5月27日 重要文化財に指定される
<絹本墨画淡彩 釈迦三尊図(しゃかさんぞんず)1幅(重要文化財)>
釈迦如来が、ひざまずく水牛の水牛の背に座っている珍しい絵
右前には普賢菩薩が、六牙の象の背に横座りに右足を垂らしている
その右下には文殊菩薩が、獅子の上に両足を垂らして腰掛けている
南北朝時代
画僧 愚渓右慧(ぐけいうけい)の筆
京都国立博物館に寄託されている
1997年(皇紀2657)平成9年6月30日 重要文化財に指定される
<旧万寿禅寺遺構>
万寿禅寺は、白河法皇が営んだ六条御堂を寺院に改められたのが由来で、
平安京左京六条四坊三町にあった
2007年(皇紀2667)平成19年
下京消防署の発掘調査が、京都市埋蔵文化財研究所により行われ、
江戸時代の町屋跡の下層より、万寿禅寺に関係する遺構が発見された
・平安時代と推定される一辺10数mほどの池泉跡と庭石
・1434年(皇紀2094)永享6年に焼け落ちたと思われる瓦
・庭園には多くの糸桜が植えられていたといわれる
など
<地名>
万寿寺の旧地(六条御堂跡)には、「万寿寺町」や「万寿寺中之町」といった町名が残っている
万寿寺通も、江戸時代に万寿寺があった門前の通りが由来
京都通メンバページ